SPECIAL
SPECIAL Interview
No Guarantee web magazine(2022.6)
Mariaと川畑梨瑚の
女子プロレス・ストーリー
女子プロレスのレジェンド長与千種率いるマーベラスのリングで、一つの動きが熱くなっている。
マーベラス3期生として入団したMariaと、現役最多年数のキャリアを誇る堀田祐美子のT-HEARTS所属の川畑梨瑚の二人。
2022年4月に行われた後楽園ホール・還暦祭の女子プロレスデーのオープニングマッチを闘った。
続いて、マーベラスの6周年記念大会でもシングルで激突。
決着がつかないまま、6月にはタッグを組み、AAAW世界タッグ王座にも挑戦した。同い年で、プロレスの同期。
プロレス入りの背景は、全く異なる二人が、今、リンクし始めている。
まず、二人の略歴から紹介してく。
Maria & 川畑梨瑚インタビュー Vol.1
SPECIAL Interview
Maria & Kawahata
中学の時に女子プロレスにハマる
子供の頃は、どんな子でした?という質問に、「もともと好奇心旺盛で、気になったものには、どこにでも行ってみちゃうんですけど。それは小さい時から変わらずで。何でもかんでもいろいろやってみたい、活発な子でした」。
中学では、バドミントン部に所属していた。「部活でバドミントン部に入ったんですけど。馬鹿なくせに真面目だったんです。提出物を出さなきゃいけない時、他のクラスの子とかは、わかんなくても答えを写したりとかしてたんですけど。自分は、解けないのに、それもやらずに、先生にも聞けずに、どうにか一人でやろうとして。一人で抱えて自滅するタイプなんですけど。提出が遅れると、部員全員の連帯責任で、走らされたり。それが何回か重なり、怒りを買い。いまだに覚えているのが、ある日、部員の子に呼び出されて。最初は2、3人しかいなかったんですけど。1時間目の時は、2対1で話していて。休憩時間が5分10分ぐらいで短かったので話が終わらず、じゃあ、また後でとなって、2時間目になると5人ぐらいになって、だんだん人が増えていって。最終的には、ほぼクラス全員の女子と他クラスの女子に囲まれてという状況。だから、今、トラウマで大人数というのが好きじゃない。今は、その部員の子とは仲はいいんですけどね。まあ、自分がみんなに迷惑をかけたというのが事の発端なので、自分が悪いんですけど」。
そんなある日、テレビを見ていたら、クラッシュギャルズのドキュメンタリーが放映された。『爆報!THEフライデー』(TBS、2014年11月放映)という番組。クラッシュギャルズとは、長与千種とライオネス飛鳥のコンビで、1980年代、女子プロレスブームを起こしたかつての大スター。その番組の中で、プロレスの試合シーンが流れ、心が動いたという。番組が終わった後、Youtubeで検索して試合を見たら、これが面白かった。それから女子プロレスの試合を見まくったという。
Interview
Maria & Kawahata
念願の女子プロレス入り
そして、高校卒業後、マーベラスに入団。「本当は、履歴書とか送らないといけないらしいんですけど。ずっとマーベラスに入ると言っていたので。匠さんには、名前を覚えてもらっていました。その間に、星月芽依が2日違いぐらいで入門していて。芽衣ちゃんはこの日に来るけど、いつ来る?と匠さんからDMがきて。だから、入寮してから履歴書を書きました。最近になって、マーベラスのホームページに入門テストという項目が追加されたんですけど」
同期にはMaria自身を含め4人いた。だが「長与さんが張り合わせてたんです。同期同士を。あの子はこれできるけど、お前は?みたいに。じゃあ、誰が一番できるかな?と」。
入門後の6月にあったプロテストには、体力不足を理由に不合格となり、同期に遅れをとることになった。「悔しかったですね。でも2018年の12月までにデビューすれば、同期になれると言われていたので、絶対そこまでにデビューしてやるよと思っていました。自分は不器用だったので、回転運動ができなかったんです。だから時間がちょっとかかった。でも、ガイアガールズという動画(長与がガイアという団体を率いていた頃のドキュメンタリー映画)がYoutubeに上がってるんですけど、それを見ていたので、きついけどこれが普通。プロレスラーになるんだったら当たり前の道という感覚だったので」。しかし、その不合格が思わぬ奇跡を呼ぶことになる。10月に再度プロテストを受けて合格。「いつデビューしたいとリングで言われたので、12月までにはデビューしたい」。マーベラス年内最終戦の2018年12月24日、クリスマスイブにデビューとなったのだ。名前もMaria。すべてが関連付けられているという運命的なものを感じたという。
デビュー戦の相手は、アイスリボンの藤本つかさだった。「相手は動ける人だから、本当すごい人だからということしか言われてなくて。これがプロレスの痛みなんだと感じました。自分は匠さん一筋だったので、他の選手のことは、あまり詳しくは知らなかった」